Part 1
2022年もわずか。
何か書き残さなくてはと思い、内面の浄化も兼ねて、良いことも、悪いことも、書いてみた。
Eric Claptonのアメリカツアーのクルーチーフを終えたのが、今年9月の下旬。
最後はマジソンスクエアガーデンでの2日間公演。
個人的にも、チーフとして「やりがいのある仕事だった」と感じていた。
ただ、どこかのタイミングでちょっと休まないとまずいな、と思うことも多々あった。
遡れば、急遽 Paul McCartneyのクルーチーフに抜擢された3月上旬まで、ずっと、
ギリギリのところでやりくりしていた。
精神的にも、金銭的にも。
アメリカでの生活を維持しながら、日本の家族も養い、すべてのバランスを取ることは、
容易ではない。
ましてや、2020 〜 2021年と、私も例外なくコロナ過で、もがいていた。
2022年の1月、2月には、
やっと入ったツアーも、オミクロンでことごとく無くなり、
銀行残高と「にらめっこ」の日々も、ついに3年目を迎えようとしていた。
しかしその後3月に入り、突如として10人の照明クルーを抱える、スタジアムツアーのヘッドになった。
頭の回転で言えば、一気にトップスピード。
チーフに選定された日もかなり遅く、翌日には一部機材表を出して、トラックの積み込みをしなくてはいけないような、そんなギリギリとバタバタの日程だった。
呑気な人間から見れば「ピンチはチャンスじゃん!」という、あれだ。
もちろん、事後振り返ってそう思うことはあったとしても、
渦中の人間には他人事にしか聞こえない、安いアドバイスと言うのは言うまでもなく。
事実、そこから朝3時まで作業し、朝6時にはまた起きて作業、という日が続いた。
ツアーが続くにつれ、疲れていても眠れなくなり、
くだらない「忘れ物」を始め、ミスが許されないプレッシャーから、
身体も内面も、リズムが狂った。
Part 2
クルーチーフというポジションは、特殊だ。
日本の業界からしてみれば、「照明家」としては、全く評価されない。
母国の業界における”身内”の中で言えば、
私はいわば、ただの「仕込み屋」だ。
デザイナーでもなく、プログラマーでも、ディレクターでも、オペレーターでもないポジションなのであれば、「自分の作品ではないね」と切り捨てられ、
全く評価の対象にもなってないと思う。
海外で使用している機材情報や、”アメリカ全般”と言う広義での情報価値があるだけで、
その他、付加価値みたいなものは、自分には全く無いのではないか、と。
また、パンデミックの影響下で、私の肌感ではあるが、「海外での活動に対する価値」も大きく変わったと思う。
「強いて海を渡る価値など、あるのか?」と言う部分だ。
ただただ、物珍しいだけだなと思う時もある。
総じて言えば、
自分を評価できる評価基準のようなものは、母国日本には全く無い。
そこの”諦め” に立つことが、ひとつのスタートであると、
最近は強く感じている。
Part 3
皮肉にも、アメリカのコンサート業界において、
有名なトップデザイナーの仕事は、一通りさせてもらった。
彼らの構想をショーとして「具現化」し、世界各国へ、持ち回りもした。
もちろん、東京ドーム、武道館、両国国技館など、日本も含め。
あらゆるツアーを紹介するアメリカの業界紙「PLSN」に、
担当したツアーとともに、
自分の名前が載ることも、もう珍しくはなくなっていた。
しかし帰国しての現実は、
「篠原さんって、結局、何する人ですか?」という質問だった。
質問を投げかけられるタイミングも悪く、
それを説明する自分が、死ぬほど滑稽に思えた。
ポストコロナにおいて、
自分が目標としていたようなクルーチーフの友人のほとんどは、
すでに辞めてしまっていた。
忙しさの反面、「俺これ、なんのためにやってるんだろ」と思う時間も、
増えてしまっていたように思う。
ただ、自分のデザインではないにしろ、
トラス、チェーンモーター、ポッド、セット美術含め、
一から機材表を書き、
自分自身で考えた「Lighting System」で、
仕込み、バラシの手順やトラックパックも考え、
照明クルーをオーガナイズし、
その下で、世界的に有名なアーティストが、
アリーナやスタジアムで歌ってる。
と思うと、「自分て、すげーなぁ。」とも、思った。
多分、これが全てで、
自分で自分を評価できれば、それでいいんだ、と今は思う。
Part 4
私の恩師の一人は、
チーフとして3年間に渡るワールドツアーを休みなく周り、
ツアー終盤、自分の照明クルーを全員クビにして、自らも辞めていった。
まぁ…、壮絶だ。
これだけ聞くと意味不明だが、
一緒にツアーを回ったときの彼の人柄を考えると「ありえない」と思うので、
こちらで言うとのころの「Burn Out = 燃え尽き症候群」だろう。
私の初チーフ現場は、彼が私を指名したことで実現したのだが。
アメリカで出版されている照明の参考書には、「メンタルヘルス」のことが載っていることも、珍しくない。
だから、Burn Outなんで、こちらでは今に始まったことではないのだろう。
前述の通り、私の場合、ツアー中、夜3時〜4時くらいまで、寝れなくなった。
眠りも明らかに浅い。
また、ホテルの部屋など、何か音が流れてないと、いたたまれなかった。
話し声や、テレビの音でもなんでも、なにか音が流れていないと、言いようのない不安感に襲われた。
そして、何も手がつかない。
パソコンの前に数時間座っても、メールひとつ、返せない。病的に。
今思い返すと、ちょっと自分でも、やばかったなと思う。
本当に海外に行きたいのであれば、相当な覚悟がないと、
たぶん、人生台無しにしかねない。
だから、相談されても「Yes. You should go now」とは言わなかった。
そして何より、セルフマネージメント術も兼ね備えていないとと、自分で痛感する。
成功したいなら、貪欲にならないといけないし、
人の仕事を奪いに行かないといけない。
その過程で、自分が大事にしてきたことも、捨てないといけない瞬間が、”必ず” でてくる。
そんな時、グチを聞いてくれる人も、共感してくれる人も、いない場合に、
自分でどうするのか。
「腐る」のも自分の選択だ。
腐って、助けてくれる人も、慰めてくれる人も、いないことだけは、覚えておかないと、
と、今でも思っている。
映画みたいなドラマチックな解決や改善も、絶対起きない。
(だから、映画は映画として成り立つので。)
ネガティブは、ネガティブしか呼び込まず、
負のループには、本当にすぐはまる。
だから、月並みだけど、最後は「忍耐」だと、本当に思う。
例えば、
チーフとして、死にものぐるいで成立させた現場でも、
プロダクションやデザイナーから、一切感謝されない、なんてこともある。
バラシ途中で起きた、
照明クルーとステージマネージャーの喧嘩の仲裁に入らないといけない時もある。
ホテルのロビーで、ツアークルー全員の前で、
プロダクションマネージャーから30分以上怒鳴られることもある。
(しかも、自分に非のないことで。)
そこから、どうやって自分の血肉、技術にしていくのか。
=忍耐。しかない。と思う。
他に何かあるなら、教えてほしい。
Part 5
「チーフとはなんぞや」みたいなことは、領域が広すぎて、書けない。
そしていわば「何する人ですか?」と言う質問も、
本心を言えば、「で、何が知りたいんですか?」と皮肉を込めて返したくなる。
かなり大まかに言えば、
書類作成の部分から始まり、発注があって。
もちろん、会社にもよるが、大きな枠組みは変わらず。
そこから実質的な準備期間。
アメリカでの準備期間は長いから、ここも大きなファクターだ。
「あとは現場で」みたいに、準備をないがしろにすると、ツアースピードにはついていけない。
その後、積み込みや、現場での実質的な可動方法。
その中にはもちろん、「絶対これは抑えないと」と言うことがたくさんあって。
その核を学ぶまで、いろんなチーフのもとでツアーを回って得たものは、大きい。
私も、会社で他の準備を手伝うのは好きだった。必ず得るものがあるから。
あとは、人間性だ。これは永遠の課題。
この中で、
「で、何が知りたいんですか?」と。
チーフには、日本にはない仕事もたくさんある。
照明クルー全員の交通費の精算とか、
クライアントへのTシャツの手配、
レンタカーの運転も、基本チーフだ。
日本式に「運転は若手に」みたいな文化は、ない。
Part 6
繰り返しになるが、必要なものは、貪欲に取りに行かないといけない。
物理的な「もの」と言うよりかは、技術や知識だ。
その部分で、渉外的なものは、フリーだと動きやすいとは思う。
他の会社へのアプローチや、お手伝い、挨拶など。
国問わずに行える。
ただ、そのような「ポジティブな行動」をするために、
なるべく内面が「清算された状態」でいないと、
全く動けないことを痛感した。
今年はその部分で、「大失敗した時期」があったことは事実。
少し振り返って、次のために反省する時間が必要なのだと思う。
Part Extra…
こちらでは、多くの友人が自分をさらけ出すことがうまい。
私は聞き役が好きだから、その部分で弱いのかもしれない。
文化ではなく、これは自分の色だと思う。
これまで、いろいろな人とツアーを共にしてきた。
アメリカは書ききれないので割愛するとして、
ブラジルでは、LPL Professional Lighting。
メキシコは、PRGメキシコ。
オーストラリアでは、PRGオーストラリア。
イギリスでは、Neg EarthやLight Alternative、Woodroff Bassett Designチームも。
ただ、照明とかは関係なく、
その幸運な環境下で、
「どんな自分になりたいか」ということに昇華できて、
自分の人間性に落とし込んでいくことが、
一番の喜びなのではないか、と思う。
その点で、
公演自体を、仕込みからバラシまで、
物理的にドライビングするクルーチーフは、
自分の肌身で、酸いも甘いも、感じ得れるポジションだと思う。
それが、「クルーチーフ」なんだと、思う。
そう言うことを話す機会も、今後無いと思うので、
ここに残してみた。
文 & 写真 – Yoshi